Brush your life

塚田 桃子 / Momoko Tsukada

ライフストーリー

1992年 東京生まれ、長野県育ち

日本らしい山間部の棚田風景が広がる長野県の七二会(なにあい)村で育つ。小学校低学年までの塚田は、下校途中に山の中に入って秘密基地を探したり栗を拾ったりするような、田舎の子どもらしい生活を送っていた。

それが一変したのは、小学四年生の時だ。ひと学年わずか12名という小さな学校に赴任してきた先生により、突然ドッジボールクラブが発足した。その日以降、平日も土日も関係なくボールを投げ続けた。

尊敬する先生から教わったことが、今の塚田を作っている。強くなるためには、個々人の日々の生活や、チームの規律が大事であること。自分の弱さに負けないという強い気持ちを持つこと。惜しくも全国大会は逃したものの、県大会まで行けたことは今でも塚田の誇りだ。

高校卒業後は東京の専門学校で特殊メイクを専攻した。ここで人の骨格や顔の形などの造形について学んだことが、今の塚田のメイクに大きく影響している。

「怒涛の日々でした」

美容の世界へ入るきっかけとなった前職時代の日々を塚田はそう振り返る。美容会社のブライダルヘアメイクチームの一員に迎えられた塚田を待っていたのは、デビューまで一日9時間にも及ぶ練習の日々。一人前になってからは毎週末、車で片道2時間以上かけて結婚式場に出向き、新郎新婦にヘアメイクをした。

大切な結婚式のヘアメイクを担当するプレッシャーに、何度押しつぶされそうになったかわからない。休みの日も気が気でなく、いつも仕事のことを考えていた。それでも続けられたのは、目の前で喜んでくれる新郎新婦や、喜びを分かち合える仲間の存在が大きかった。社長から声がかかり、ニューヨークでのコレクションに参加するチャンスも掴んだ。自分にそんなことができるのだろうかという迷いもあったが、子ども時代に培った「負けない」という気持ちが、塚田の背中を押した。

  • 帰国後ほどなくして、塚田はフリーになって東京で挑戦することを決めた。しかし同じチームメンバーがいないアウェイな環境に一人で行き来する日々の中では、さまざまな感情を消化することが難しかった。今まではなかったようなミスも重なった。

    「チームで働きたい」

    それが自分に正直になった時に出た答えだった。

    クッポグラフィーを選んだのは、仲間がほしかったことの他に、ブライダル業界にいては実現できない「お客さまと再会したい」という思いがあった。入社から2年がたった今では、以前担当したお客さまを再び担当できる喜びを実感している。

    すべてがスムーズで何の障壁もなく今まで来たわけではない。しかし努力を重ねて一つずつ確実に夢を叶えてきた塚田には次の夢がある。

    敬老の日フェアで担当した四世代のご家族をお迎えした時のこと。「昔はメイクが好きだった」というひいおばあちゃんにメイクをしてあげると、みるみるうちに目に力が湧いてくるのがわかった。

    「10歳若返ったわ」

    さっきまでずっと首が曲がっていたはずのおばあちゃんが、顔をまっすぐに上げて鏡の中の自分を見て言った。改めて、メイクの力を肌で感じた瞬間だった。

    どんな人にもその人ならではの美しさがある。これからは、子どもたちや自分に年齢が近い大人以外に、美容から距離が遠のいてしまいがちな高齢の方々にも、自分のヘアメイクを通して喜びを感じてもらいたい。

インタビュー

ブライダルから七五三まで “一人一人の人生に寄り添う” ヘアメイクアーティスト

本シリーズでは、仕事やスタジオの空間づくり、お客さまへの思いなどについて、メンバーへのインタビューを通して、写真が生まれる背景をご紹介していきます。今回は、ヘアメイクアーティストの塚田桃子。彼女が大事にしている“その人らしさ”を最大限に引き出すヘアメイクとはどんなものなのか。話を聞いてきました。

ポートフォリオ

Next
Next

末廣 桃華 / Momoka Suehiro