Spreading out like an open fan
末廣 桃華 / Momoka Suehiro
ライフストーリー
1995年生まれ、函館市出身。
「今までの生き方には、何の後悔もありません」
そう語る末廣の言葉には力がある。嘘や曲がったことが嫌いで、自分に正直に人生の選択を重ねてきた。「いつも撮影中に気づいたことを率直に伝えてくれて、それに何度も救われました」そんな同僚からの言葉には、末廣への厚い信頼が込められている。
ロールモデルであり憧れでもある母と、たしかな言動で愛情を伝えてくれる父。そんな両親のもとで真っ直ぐに育った末廣は、中学生の頃にはすでにブライダルの世界でヘアメイクアーティストとして働きたいと決めていた。高校時代には、バスで片道6時間かかる札幌の専門学校のオープンキャンパスに、何度も足を運んだ。
末廣は専門学校を卒業すると、先生の勧めもあり、東京の結婚式場で夢だったヘアメイクの仕事に就いた。
人生で唯一と言っていい大きな挫折。それが末廣のファーストキャリアだった。
元々、ブライダルの前撮りなどの撮影現場を志望していた末廣にとって、結婚式場での仕事は、思い描いていたヘアメイクアーティストの働き方とは違っていた。自分を納得させながら、だましだまし働くことも末廣の信条に合わなかった。
そんな苦しい日々を支えてくれたのは、やはり両親の存在だった。毎月送られてくる北海道にしかない食料品。そこに添えられた母からの手紙は、今もすべて大事に取ってある。「もうダメかもしれない」と初めて弱音を吐いたとき、母からの手紙が届いて一晩中涙した。北海道に帰って、母と紅葉を見て歩いた。
「いつでも戻っておいで」
そう言ってくれる母の優しさにふれて、一人前になるまでやり切ろうと、逆に前に進むことができた。東京に戻った末廣は、その会社でデビューするまで働いた後に、ブライダルの前撮り専門スタジオに転職した。
新しい職場では、全国に100名以上いるヘアメイクアーティストの中で指名数一位を獲得した。撮影で仲良くなったお客さまから、自宅に招待されたこともある。
「これは頑張って続けてきたご褒美なんだ」
そんな充実感を感じながら、毎日があっという間に過ぎていった。
憧れだったブライダル漬けの毎日を離れてクッポグラフィーに入社したのは、自分にとって新しいチャレンジとなる「家族写真」をやってみたいという思いがあったからだ。思えば北海道の実家は、家族写真であふれていた。
心の支えがあることで、人は前に進むことができる。末廣にとってはそれが両親であり、その存在を確かなものにしてくれた手紙であり、写真だった。自分がそのことを身をもって体験してきたからこそ、自分もヘアメイクや写真を通して、誰かの力になりたい。